東南アジアでの挑戦
明治大学を卒業後、J3のFC琉球で1シーズン、Jを舞台に戦った水野輝。しかし、プロとして納得できる待遇を受けるには至らず、アジアで挑戦することを決意する。
向かった先はシンガポールだった。アルビレックス新潟シンガポールと契約した水野、海外での1年目となる2015シーズンでリーグ戦3位、国内カップ優勝。個人としてもシーズンを通してスタメン出場を続け、選手として充実した毎日を過ごした。
しかし、プロとしてさらに自分を高める為に、そして厳しい環境で自分をもっと磨ける場としてカンボジアに新天地を求めることを決意します。
移籍先はカンボジアリーグのスバイリエンFC。2013シーズンには国内リーグ優勝、2015シーズンにはフンセンカップで優勝するなどカンボジア国内きっての強豪クラブです。
必要なものは何でも揃うシンガポールとは違い、カンボジアはまだ発展途上の国。サッカーだけではなく、生活、文化、環境、言葉、全てが違いました。しかし、水野の中で新しい環境でチャレンジすることへの迷いはありませんでした。
スバイリエンFCでは、シーズンが始まるとすぐに水野はチームメイトやコーチ陣からの信頼を得ることに成功します。シーズンを通し、ボランチとして後方からチームを支え、安定したパフォーマンスを見せました。そしてカンボジア1年目ながら、リーグのオールスターチームのメンバーにも選出されます。
『スバイリエンは良い選手は多かったのですが、攻撃的な選手が多く守備が手薄でした。その中で自分のようなタイプがはまったのだと思います。』と水野は話す。
スバイリエンでの活躍はすぐに国内チームの関係者の目に止まった。カンボジアリーグ王者、メコンカップ優勝、決勝でタイ王者のブリーラムと熱戦を演じたボンケット・アンコールFCからのオファーだった。
?カンボジア王者として戦うAFCカップ
2017シーズンよりカンボジア王者のボンケット・アンコールFCでプレーすることになった水野。ボンケット・アンコールFCは2016シーズンに抜群の攻撃力で一気にカンボジアのトップクラブに躍り出たクラブです。強力な外国人選手、そしてカンボジアの英雄チャン・ワタナカなどを擁し、東南アジアトップのクラブとも渡り合ってきました。
クラブは2017シーズンよりさらなる強化のため、新しくオーストラリア人監督を招聘。
『ボンケットでは守備だけではなく、攻撃の起点としてのプレーも常に求められています。もっと成長しないといけない。』
国内リーグに加え、アジアの国際大会、AFCカップにも出場しているボンケット・アンコールFCは過密なスケジュールで試合が続きます。ミャンマーのマグエFC、フィリピンのグローバルFC、マレーシアのジョホール・ダルル・タクジムFCが顔を合わせたAFCカップのグループリーグ。
?豊富な資金で国内外から優秀な選手を集める各国のトップクラブとの対戦は厳しい戦いが続いた。
特にマレーシアのジョホールは別格だった。日本代表が98年W杯の出場を決めたジョホールバルの歓喜。あの試合が行われたスタジアムをホームとするマレーシア屈指のビッククラブ、東南アジア屈指の金満クラブとしても有名です。
数万人は入っていたというスタジアムを埋め尽くす観客の熱。スバ抜けた個の能力を有する外国人選手。代表選手を多数抱えるというローカル選手のレベルも相当高かったという。
『正直、チームとしても圧倒されてしまいました。自分たちもプレスで上手くはめたかったが、全てが後手に回ってしまい、どうにも出来ませんでした。』
?しかし自身初めての国際大会という大舞台は、楽しいものだったと水野は話す。
『その国に行って、その国のトップのクラブと試合をする。そうするとその国の色だとかそういうものが見えてきて楽しかった。そして、もっとこういう舞台で戦いたいというモチベーションにもなりました。』
ゴールはもっと先にある
日本を出てから、シンガポール、カンボジア、AFCカップ。常に自分の評価を上げ、目標へと続く階段を着実に登る水野。しかし今は日本に戻ってJリーグに挑戦したい、さらにレベルの高いヨーロッパでプレーしたいといった考えはないという。
『自分はアジアで勝負したいと思っています。今だったら、マレーシアやタイなど東南アジアでのトップリーグのクラブでプレーしたいという気持ちが強い。そしてACL(アジアチャンピオンズリーグ)でプレーしてみたいと思っています。』
?常に自分を信じ、しっかりと目標を見据え、一歩一歩進むべき道を行く水野。
近い将来、アジアトップのクラブの一員としてACLで戦う水野の姿が観れるかもしれない。