本間和生が感じたヨーロッパとアジアの違い

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海外でプレーするということが当たり前ではなかった


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?(写真提供:LAO TOYOTA FC)


2017年。時代の変化の速さは驚くほど早く、わずか10年足らずで世界はものすごい速さで変化する。今は世界のどこにいようとLINEやfacebookを使えば無料で連絡が取れるし、顔を見て話す事も当然の事としてできる。必要な情報があればスマートフォンを開けばすぐにその情報にたどり着く事ができる。格安の航空会社も増え、世界のどこに行くのも低下価格で行けるようになった。世界は確実に小さくなりつつあるように感じる。


 

しかし約15年前。2002年にはLINEもfacebookもスマートフォンさえも存在していなかった。
?当時、日本のサッカー界で海外移籍と言えばJリーグで活躍した日本代表クラスの選手達が行くというのが当たり前。実績のない選手が海外へ行くなんて常識ではなかなか考えられない時代だった。


 

2002年日韓共催W杯の日本代表メンバーで海外クラブでプレーしていた選手と言えば、川口能活、稲本潤一、中田英寿、小野伸二の4選手のみ。ほとんどの選手が海外組となった今とでは大きな違いだ。


?日本中がW杯フィーバーに沸いた2002年。まだ今のように海外でプレーすることが一般的ではない時代に人知れず欧州に渡り、12年間に渡って自分の足を頼りに欧州のクラブを渡り歩いてきた選手、それが本間和生だ。

 

 

東ヨーロッパに位置するセルビアとハンガリー


 

セルビアとハンガリーは決して欧州のトップレベルのリーグではないが、毎年のように優秀な選手をスペイン、イタリア、ドイツのような強豪リーグに送り出すサッカー大国の一つだ。


 

セルビアには欧州の中でも有名なレッドスターやパルチザンなどのビッククラブがあり、マンチェスター・Cのコラロフやトリノで活躍するリャイッチなど多くのセルビア出身の選手達が欧州各国のトップレベルのクラブで活躍している。


 

ハンガリーは1950年代、マジック・マジャールと呼ばれ世界最強と言われた代表チームの歴史があるように、古くからの歴史を持った古豪と呼ばれる国だ。一時の栄光は過去の物となりつつあるが、ハンガリー国内でのサッカー人気は今だ健在。国内リーグには将来を嘱望される未来のスーパースター候補達がしのぎを削っている。



 

セルビアで2年半を過ごし、その後2004年にハンガリーのクラブへ移籍。そこから9年半の間ハンガリー国内のクラブを渡り歩いた本間。2002年に渡欧してから12年が経った2014年、ハンガリーを後にして本間が次に活躍の場を求めたのは東南アジアのラオスだった。



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4年目を迎えるラオスでのプレー

 

?(写真提供:LAO TOYOTA FC)


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本間は今年でラオスでの4年目のリーグ開幕を迎えた。2014・2015シーズンには得点王とリーグ優勝。2016シーズンは優勝こそ逃したが、ここまでの3シーズンで約80ものゴールを積み重ね、所属するLAO TOYOTA FC、そしてラオプレミアリーグを牽引してきた。


 

今シーズンはアジアの国際大会であるAFCカップの予選にも出場、リーグ戦と合わせて過密なスケジュールが続いている。


 

『今年のチームは昨年からメンバーが結構入れ替わったので若い選手がすごく多い。初戦では負けてしまいましたが、やばいなという雰囲気はチームにはありません。まだまだここからですね。』


 

今シーズンはここまで順調に7ゴールを獲得、誰よりもゴールの似合う男は落ち着いてそう話す。


 

欧州からアジアに来て感じること


?(写真提供:LAO TOYOTA FC)


 

当時ハンガリーでプレーしていた時には東南アジアでプレーすることは考えていなかったという本間。

 

『特に何も考えていなかったですね。半年間ほど所属チームがないという状態も続いていたし、選択肢はなかったので。』


 

実際に東南アジアに来るとローカルの選手たちのポテンシャルの高さには驚いたという。技術の高さ、俊敏性、ヨーロッパとはサッカーそのものが違った。どちらがレベルが高い、どちらがプレーするのが難しい、そういった単純な問題ではない。


『強いて言うならば、サッカーというスポーツの本質へのアプローチの仕方が違うのかもしれません。』と本間は話す。


 

その違いの中で苦労することはなかったのか。もちろんあっただろう。しかし、その中でも彼は環境にアダプトする術、自分が外国人助っ人として生き残るための術を熟知していた。


 

『自分は周りに生かされて生きるタイプのFWです。なので、人や周りのことはよく見ているつもりだし、観察はよくしていると思います。そしてやっぱりFWなので得点を取ることがチームに溶け込む上で大事な事でもあります。』


 

東南アジア、日本、ヨーロッパ、それぞれでサッカーは当然違う。しかし、そこの違いという目に見えない壁は言葉で簡単に比べられるようなものではない。結局は自分で感じるしかないのだ。

 

『考えているだけでは何も始まらない。自分で行動を起こして壁にぶつかる。そこでそれを乗り越える為にもがくから、それが自分自身の生きた経験へとすることができる。海外でサッカーをやっていれば明日のことも分かりません。だから今、自分がその瞬間にどう向き合うかでそれがこの先に繋がって行くと信じています。少なくとも自分は今までそうやってきたから、ここまでサッカーを続けてこれたのだと思っています。』


 

一歩を踏み出す勇気


?(写真提供:LAO TOYOTA FC)


 

インターネットの普及に伴って広がったグローバル化の影響。それはサッカーの世界も例外ではない。世界のスーパースターが欧州だけでプレーする時代は終わりつつあるのかもしれない。続々とアジアやアメリカに移籍する世界のビックネームのニュースは後を絶たない。日本人もJリーグで活躍した選手だけが欧州リーグに挑戦できるという時代は終わった。選手たちは世界のどこでもプレーすることができる。


 

そういう時代の中で、何もなかった時代に自分の足だけを頼りに道を切り開いてきた本間の言葉は、これから挑戦する若い選手たちにとっての大きな道しるべになるだろう。
?今は行こうと思えば誰でも何処へでも行ける時代だ。


 

スマートフォンでアプリを立ち上げチケットを予約する、チケットも安い。現地に着けばgoogle mapで行き先を検索すれば行ったことのない場所でも迷わずに行ける。


 

?必要なのは『一歩踏み出す』ということだけだ。


 

プレーでも同じかもしれない。ゴール前で常にチャンスを伺い、どんなボールにも身体を投げ出すようにしてゴールに結びつける。練習からそう行った鬼気迫るプレーをする本間。そういった姿勢が試合でのここぞという場に発揮される。そしてそういうプレーができるのは、常に自分で一歩踏み出し、自分自身で道を切り開いて来た本間だからだろう。本間の言葉、そしてプレーからはそういった力強い意思を感じる。


 

?(写真提供:LAO TOYOTA FC)
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